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快適生活研究所情報 2017年2月号

経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します

経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い

(1)朝鮮で聖者と呼ばれた日本人がいた 重松@修(まさなお)氏

昨年の日韓合意に反する韓国の対応により両国の関係が悪化しています。隣国同士ですから関係が修復できればと思います。そんな折に、この重松氏の話を知りました。時は日本の統治時代、大正4年に現在の拓殖大学で朝鮮語を学んだ重松氏が朝鮮総督府の官吏になり、農民のための金融機関に勤務し、平安南道江東の寒村に理事として赴任された時の話しです。彼は大正8年の三・一独立運動に巻き込まれ、被弾し右足が不自由になっていました。部下と二人、下里という集落に向かいました。「倭奴が来た」という声がし、住民達は侮蔑の目を向け、老人たちは逃げ、青年たちは嘲笑し、女たちは戸を閉めて家に隠れる有様でした。彼はこの集落に養鶏を広めようとしていました。この地域は小作農や小農が多く、凶作になると食うに困り、高利貸しに借りて生活をしていました。借金の返済のために僅かな土地を売り、一家が離散したり、都会の浮浪者になるという有様でした。金融組合が節約して貯金を勧めても、そもそも貯蓄そのものが不可能な困窮農家が多かったのです。そこで重松は養鶏を副業として農民を豊かにしようと考えたのです。重松は仕事の傍ら、自力で鶏舎を建て、飼育方法を学び、10羽の白色レグホンと5羽の名古屋種を購入して育て始めました。奥様も手伝い白色レグホンから生まれ育った若鶏は136羽に増えました。かれは15個の有精卵を希望する家に配り始めました。とれた卵を供出させて共同販売し、卵の代金は据え置き貯金にして、貯まったお金で豚や牛を買い、土地を買い戻すように勧めました。彼らは頑迷に受け入れを拒みました、重松は「誠意で彼らの心に触れ、愛によって彼らの心の底の魂を揺り覚まさなければならない」と考えて、何度何度も下里に足を運びました。彼の誠意で卵が欲しいという農家が徐々に増えていき、一年後には500個を越える卵を配布することが出来ました。彼の努力で販路も広がっていきました。そんな中、組合に370円の借金をして困っていた夫人が働き手のご主人を亡くし益々困窮していた時、重松は据え置き制を破り、彼女が貯めたお金を払い戻してやり、養豚して債務を返すように勧めました。彼女は7ヵ月後に債務を返済しました。彼女は重松に涙を流して感謝したそうです。そして遂に貧しい小作農が奮起して医者になる人が出てきました。やがて彼は聖者と崇められて、昭和11年彼の頌徳碑が建立されました。2013年3月号で紹介しました八田與一氏(台湾の嘉南平原にダムを建築し銅像が建てられた)を思い出します。重松氏は終戦後牢獄に入れられましたが、彼を取り調べた検事が、かって重松が行った養鶏のお陰で大学に進み、早稲田大学を卒業して司法の道を歩んだ人で、混乱の中、彼を無事に日本に帰国させたのです。まるで「鶴の恩返し」のようです。 この「無私の日本人」を知ることにより、反日を叫ぶ人たちの心が少しでも和らぎ、将来に向けた前向きな関係を築くことが出来るように願います。

(2)まもるくん豆知識 感染症が猛威をふるう

前号でもご紹介しましたが、インフルエンザやノロウイルスなど感染症が全国的に大流行しています。国立感染症研究所によりますとノロウイルスは大流行した4年前に迫る水準だそうです。検出されたノロウイルスの大半は近年流行していなかったタイプで、免疫がない子どもたちが、かかりやすいそうですのでお気をつけ下さい。「まもるくん」を集中的に噴霧すれば蔓延を防ぐことが出来ます。データはHP「ヒノキチオールだから」をご覧下さい。また実例は弊社情報に掲載しています。(2015年12月号など)ご覧下さい。